「雨上がりに見えた景色」 ~遠藤由華インタビュー

「雨上がりに見えた景色」 ~遠藤由華インタビュー

 

 

 2013年の全日本選手権。そのフロアに彼女の姿がないことが、残念でたまらなかった。

その選手の名前は、遠藤由華(日本女子体育大学)。

元フェアリージャパンのメンバー。2008年の北京五輪の際は、チームの中心的存在として活躍し、2012年ロンドン五輪に向けても、田中琴乃(日本女子体育大学)と2人だけの北京経験組として、チームの両輪を担っていた選手だ。

しかし、五輪本番まで4か月に迫った2012年5月、ブルガリアでのワールドカップの演技中に、悪夢のような出来事が起きる。演技序盤で後方転回をしたあと、遠藤がフロアに崩れおちた。何度も立ち上がろうと試みるが、立てない。演技は中止され、遠藤はフロアから運び出された。

 

左足大腿骨頸部骨折。

ロンドン五輪までにチームに復帰することは絶望。それどころか、もう一度、踊れる日が来るかさえもわからない。それほどの重傷だった。

 

ロンドン五輪が終わり、2012年10月に日本女子体育大学の演技発表会が行れたとき、遠藤はそのフロアに姿を現した。ただ、まだとうてい踊れる状態ではなく、立っているだけの貴婦人の役だった。おそらく、その「立っているだけ」さえも、当時の遠藤には大変だったに違いない。それでも、発表会の舞台に立つことに、彼女もおそらく周囲も意義を見出していたのだろう。

見ている側の思いも複雑だった。「発表会に出られるまでには回復したんだ」という安堵。しかし、一方では、「踊れる日は果たしてくるのだろうか」という危惧も、多くの人が感じたのではなかっただろうか。

 

 

その遠藤由華が、2013年10月22日、日本女子体育大学の発表会で、踊っていた。

バランスでは、かつてと同じように、美しく高く脚を上げ、フェアリージャパンを経て、いちだんと磨きがかかってきていた表現力も健在。どこまでも美しく、艶やかで、さらに、多くの困難を乗り越えて再び踊る歓びが、全身から伝わってくる、そんな演技を見せた。

 

11月7日。

遠藤由華に会うことができた。

私服でも、目を引くほどのスタイルの良さは相変わらずだが、私の前に現れた彼女は杖をついていた。杖に頼って歩く、というほどではないし、短い移動ならなくても大丈夫、というが念のために、杖はまだ必要。そんな状態なのだという。

ほんの2週間前の発表会では、「杖が必要」なようには見えない演技をしていたのに。

つまり、あの発表会の演技が、かなり無理をしたものだったということなのか。

「無理はしていないです。やれることしかやってないので。

 発表会の作品は、主に3年生が考えるんですが、私はジャンプしたり、走ったりはしなくていいように、工夫してくれました。」

 

2012年5月の骨折からの回復は、決して順調とは言えなかった。

もともとかなりの大怪我なうえ、2回目の手術後の経過が芳しくなく、なかなか骨がちゃんとつかなかった。それほどに、遠藤の骨折はやっかいで複雑な状態だったのだ。骨がつかない限りは、リハビリもできない。2013年1月、ついに3回目の手術を断行。2月から4月にかけては、リハビリのための入院もした。その結果、現時点では骨が7割方ついているという。あの骨折から1年半。やっとトンネルの出口が見え始めた、遠藤由華はそう感じているようだった。

 

 

「今は、リハビリで御殿場の病院に通っています。入院したのもその病院なんですが、信頼できる理学療法士さんがいらして、復帰に向けてのプログラムを組んでくださっています。プールやトレーニングジムもあり、施設もすばらしくて。3回目の手術のあと、この病院で加重ゼロのトレーニングから段階をふんでやってきたおかげで、発表会ではなんとか踊ることができたんです。」

入院中は、午前中は酵素カプセルに入ったり、ストレッチなど。午後は、プールでのトレーニングというスケジュールで、復帰を目指してきた。それはかなり過酷な日々だったのではないかと思うが、

「やっぱり私は、踊ることが好きなので、難度などは、以前と同じようにはできなくても、自分の体を使って表現することはあきらめたくなかったので。」と遠藤は、こともなげに言う。

さらに、

「私はもともと、練習やトレーニングが好きなんです。多分、試合よりもそっちのほうが好きでした。」だから、復帰に向けてのトレーニングも、あまり苦にならない、楽しめたと言う。

ただ、それは、トレーニングさえできない時期が長かったこととも無縁ではないと思う。傍から見れば、大変そうなトレーニングだとしても、それが「できる」こと、たとえゆっくりな歩みでも復帰に向けて動いていると感じられることが、遠藤にとっては喜びだったのだろう。

フェアリージャパンの一員としてロンドン五輪に出場。その後は、日女の個人選手として競技に復帰。ことによっては、2013年の世界選手権代表の目だってある。フェアリージャパン時代の遠藤を見ていて、私はそう思っていた。いや、きっとそれは私だけではなく、多くの人がそう期待していたに違いない。

チャイルドやジュニア時代から、線が美しく、身体能力は高い選手だったが、器用さや表現のインパクトなどには、やや欠ける印象があった。ところが、フェアリーでのロシア合宿を経て、その不足分は十二分に埋まってきていた。2010年,2011 年の日女の発表会では、ゲスト的な扱いで集団演技の中で踊っている姿を見たが、そのときの遠藤は、本当に目が離せなくなるほどの輝きを放っていた。彼女の体は、表情をもってどこまでも自由に大きく動き、顔の表情でも見事に曲を表現していたのだ。

だから、ロンドン五輪後に、個人選手として活躍する遠藤由華を、私は、本気で楽しみにしていたのだ。そんなわがままな夢を遠藤に語ると、彼女は、

「どこまでやれるかはわかりませんが、クラブ選手権や社会人大会には出たいな、と思ってます。以前と同じにはできないとしても、表現はできると思うから。」と言った。

「もしも、あのままロンドン五輪に出ていたら、そこで気がすんでしまった可能性もあると思うんです。でも、それがかなわなかった分、新体操に執着があるんです。ロシアでいろいろなことを経験して、やっと、自分はこういう風に踊りたい、というものもつかめてきたところでした。自分はこれからだな、と感じていた矢先の怪我だったので、まだ、やりたい新体操をやってない、という気持ちはあります。」

 

そして。

「親にもたくさん迷惑をかけてしまったから、もう一度、私が踊る姿を見せたら、喜んでもらえるんじゃないか、と思うんです。」

少し照れくさそうに、しかし、凛として彼女はそう言った。

 

 

「まだ、はっきりと進路は決まっていませんが、ゆくゆくは指導者、かな。多分、新体操からは離れません。ただ、とにかく踊るのが好きなのにで、ダンスもバレエも大好きなんです。

将来的には振付や指導などもできるようになりたいと思うので、今のうちにたくさん勉強したいと思って、バレエやダンスの舞台などもなるべく見に行くようにしています。」

 

将来、指導にかかわることになったら、やはりオリンピック選手を育てたい、と思う? そう聞いてみると、「そうですねー」と少し考えてから、

「トップ選手の基礎を作る指導者になりたい、かな。」

と遠藤は答えた。

 

「私は、フェアリージャパンが千葉で合宿生活をしていたころも経験しているし、ロシア合宿も経験させてもらっているので、自分たちで食事も作って自活していた千葉と、NTC(ナショナルトレーニングセンター)やロシアで新体操だけに集中できる環境との違いも知っています。また、ロシアと日本の違いも身をもって知っている。日本の新体操もかなりよくなってきているのは感じますが、まだ難しい点も多いのかな、とも思います。」

五輪という晴れ舞台を経験し、長く日本代表と位置にいた経験、そして、怪我による大きな挫折を味わった経験。そのどちらも、遠藤が指導者になったときには、大きな財産になるに違いない。

 

 

遠藤には、大切にしている言葉がある。

試合中に骨折して、入院したブルガリアの病院で、ブルガリアのマリア・ギコバコーチが、悲嘆にくれる遠藤にかけてくれた言葉だという。

 

 “雨が降るから、花も咲くし、空気も澄むのよ、人生も同じ”

そして、

“試合で活躍することだけでなく、挫折から復帰する姿を見せるのもアスリートの役割よ”

 

2006年全日本ジュニア準優勝。

2007年ユースチャンピオンシップ優勝。

2008年北京五輪出場。

2009、2010、2011年世界選手権出場。

 

そんな輝かしい経歴をもった、才能あふれる選手が、誰にでもはできない経験をし、深い絶望と挫折を味わい、それでもまだ新体操にかかわり続けようとしている。

それは、日本の新体操にとって福音だ。

そして、おそらく近い将来、彼女の演技をまた見ることもできるようだ。

 

「多分、3月のSTELLAの発表会では。ほかにも機会があれば、ぜひ。」

 

その日が来ることを楽しみにしておこう。

 

PHOTO by Norikazu OKAMOTO / Keiko SHIINA  TEXT by Keiko SHIINA