「続けること」で得られるもの~2023全日本選手権ふりかえり②

女子はもう20年以上前から、新体操を始める年齢は小学校入学かそれ以前になってきていた。

全日本クラブチャイルド選手権内で行われるキッズコンテスト(1,2年生の部)は、今年度で22回目になるのだから、それもそのはずだ。

 

一方、男子は、ジュニア(小学生やそれ以前)からの育成が盛んになってきたのは、2010年頃からだ。

それまでは、中学で始めれば早いほう、高校始めでもインターハイくらいは出られるということは珍しくなかった。

 

しかし、先日の全日本選手権を見ても、今のトップ層には、男子といえども遅くとも小学生のうちには新体操を始め、競技生活もスタートさせている選手が多いことを実感した。

男子でも女子でも、競技生活が長い選手に関しては、見ているほうも本当に幼いころから長く見ることになるので、思い入れも深くなる。

直接、話を聞く機会はなくても、長い間見続けていれば、勝手な想像ではあるが、「今はきついだろうな」「辞めたいと思っているんじゃないだろうか」などと、感じる時期もある。それでも、粘り強く新体操というスポーツを続けてくれて、その人なりの「やりきった!」という瞬間を見せてもらえたときは、こちらも幸せな気分になる。

 

最近、よく思うのは、幼いころは「中庸」がいちばんラッキーなんじゃないかということだ。

どんなスポーツでも、出だしが周囲より極端に後れをとっている場合は、続ける選択をするのに、本人も親も躊躇しがちだ。

それでも「やる!」と決められれば、その思いの強さは間違いなく武器にはなるが、出だしの「人にはできることが自分にはできない」を乗り越えるにはかなりの熱意が必要だ。

一方で、早熟な場合も、一時的には「なんて恵まれているんだ」と思われがちだが、その「良すぎるスタート」ゆえに苦しむという例が多い。保護者や指導者が選手本人を苦しめているケースも少なくない。

前述した女子の全日本チャイルド、あるいはキッズコンテストは、まさに「早熟選手権」であり、小学生の段階でこんなにできるとは! という素晴らしい演技、選手を見ることができるが、上位入賞者を見返してみると、大学生まで続けられた選手はごくわずかなことに気がつく。

様々な事情はあるとは思うが、小学生のうちに日本一を競うステージに上がるということは、そういうリスクもはらんでいることに気づかされる。

そんなことを考えると、「中庸」からのスタートが一番続けやすいかもしれないな、と思うのだ。

いや、実際には「中庸」には「中庸」ゆえの苦労はあるとは思うが。

 

今年の全日本選手権は、本当に素晴らしい大会だった。

例年のことではあるが、とくに大学4年生たちの気持ちのこもった演技には、心うつものがあった。

中でも、小学生のころから見る機会が多かった選手たちが、ここまで新体操を続けてきて、おそらく紆余曲折あったのだろうけれど、最後に満足そうな表情を見せてくれたときの感動は、金メダルにも勝るものがあった。

高野里香(日本女子体育大学4年)もその一人だ。

まさに「早熟派」の選手だった彼女は、2012年2月の全日本チャイルド選手権3,4年の部で準優勝している。

今でも覚えているが、つま先の伸びやかかとの高さなど、基本がしっかりしている上に音楽がよく聞こえてくる、小学生ながら芸術性の高い演技をする選手だった。

2013年の4月、アンナ・ベッソノワによる講習会が開かれたときも、小学生ながら卓越した表現力がアンナの目に留まり、お手本を務めていたことも覚えている。

小柄だったことや、力のある選手の多い長野県の選手だったため、その後、ジュニア~高校生と成績の面では思うようにいってないんだろうなと感じる時期もあった。

それでも、大学に進学して新体操を続けることを選んでくれたのはとても嬉しかったが、入学と同時に、コロナ禍に突入。試合どころか練習もままならない状況からのスタートになってしまった。

しかも、進学した日本女子体育大学は、当時、個人に有力選手がひしめいており、なかなか全日本インカレまで駒を進めることができなかった。

それでも、新体操フェスタ岐阜やテレビ信州杯など、大会出場の機会があればしっかり出場して力を蓄えていた。

身長もかなり伸びて、持ち前の芸術性の高い演技が「よく見える」ようになってきていた。

おすまし顔での美しい演技だけではなく、弾けた表情やきりっとした表情、ユニークな表情も見せられる感情表現が豊かな選手に成長していた。

順風満帆な競技生活ではなかったと思う。

そんな彼女が、大学生最後の年に、やっと全日本インカレに出場し14位となり、全日本選手権の出場権を獲得した。

「よくここまで続けてきてくれた」そう思った。

全日本選手権での高野里香は、その舞台をとても楽しんでいるように見えた。

1種目目ボールでは落下ミスなどもあったが、今までもミスには泣かされてきた選手だ。

この大舞台での1種目目でミスが出るのはある意味折込済だ。ミスは出ても、小学生のころと変わらぬ踊り心あふれる演技は輝いていた。

2種目目のフープでは、ノリの良い曲で弾むようにフロアを跳び回り、ノーミス。会場からの声援に笑顔が弾けた。

 

さらに、2日目の最終種目クラブでも、集大成と呼ぶにふさわしいノーミス演技を見せ、最後には力強くこぶしを握り、腕を突き上げた。

それは、おそらく最後の演技をノーミスで通せたというだけでなく、長く、苦しいことも多かっただろう、競技生活を最後までやりきったぞ! という納得のガッツポーズではなかったかと思う。

会場にいる観客の多くは、彼女が11年前にチャイルドで準優勝したことなんて知らないだろう。

「こんなはずじゃなかった」という思いをどれほど重ねてきたかも知らないはずだ。

それでも、この演技と満足そうなラストポーズには、みんなが拍手喝采した。

おそらく彼女はこの瞬間のために新体操を続けてきたんだ、そう思える時間だった。

 

男子では、森園颯大(青森大学4年)がそうだった。

鹿児島県出身の森園は、小学生時代、九州では知らぬ人はいない天才少年だった。

男子新体操が盛んな九州だが、団体に重きをおく傾向があるため、個人ではなかなか強い選手が育ってこない。

ましてやジュニアの間は、ほとんどの選手たちが団体メインで手具は申し訳程度、が九州の常識だった。

それを破ったのが森園だった。ジュニアとしては技術にも長け、なによりも表現力が卓越していた。小学生ながら、フロアに自分の世界を描き切る力があり、向かうところ敵なしだった。

ただ、早熟ゆえに小学生から全日本ジュニアに出場していたため、全日本ジュニアではなかなか得点を伸ばすことができないという苦い経験はしていた。

なにしろ、体が小さかった。そして、その小さな体で「これでもか!」と大きく動くので、演技中にふらついたり、無駄足が出たりして、減点は多かったのだ。

でも、小学生ながらその堂々たる踊りっぷりは鮮烈な印象を残していた。

現在、青森大学の監督となった斉藤剛大は、ジュニア時代の森園の演技を見て、「いいですよね~、あの思い切りのいい動きがすごくいい!」と言っていたことを今でも覚えているが、奇しくも森園が青森大学に進学した2020年から、斉藤が青森大学の監督となった。

森園も、早熟派の選手の例にもれず、ジュニア~高校時代はやや苦労している様子が見受けられた。

2016年の全日本ジュニアこそは準優勝と面目躍如の成績を収めているが、高校3年のときに迎える地元鹿児島でのインターハイに向けた高校の3年間は苦しかったと思う。

高校生のころの森園を練習場に見に行ったことが何回かあるが、いつも思いつめたような表情だったことを思い出す。

高校1~2年のときはインターハイ出場もかなわず、それでも3年のときには地元インターハイでの好成績が期待されている、そんな重圧が彼の高校時代には常にあったのだろうと感じていた。2019年のインターハイでの成績は、5位。目指していた場所には届かなかったかもしれないが、地元の大観客の前で堂々と演じ切り勝ち取った値千金の入賞だった。

あのとき、私は心底ほっとして、なんなら「ここで引退してもいいんだよ」と思ったことを覚えている。

そのくらい、高校生のころの彼は追い込まれているように見えたし、新体操を好きでやっているようには見えなかったのだ。

早くから才能が開花してしまい、期待されているので辞めるわけにもいかなくなってしまった? そんな風にも見えていた。

 

ところが、彼は青森大学への進学を選んだ。

それは私にとっては嬉しいサプライズだったが、4年間がさらにしんどいものにならないとよいな、と余計な心配もしてしまった。

が、それは杞憂だった。

大学生になってからの彼は、年を追うごとに高校時代の重圧から確実に解放され、自分のため、あるいはきっとごく身近な応援してくれている人のためだけに、新体操をやっているように見えた。

競技歴が長くなってくれば、どの選手も自分の強み、弱みがわかってくる。天才少年と呼ばれたころは、なんでもできる! ように思われていた森園もじつは弱みもたくさん抱えた人間であり選手だった。そして、大学生活を通して、彼はその自分の弱みをある面は克服し、克服できないものとはうまく付き合っていくことを学んだように思う。

表現力には長けた選手だけに、ドラマチックな曲やぐっと胸にしみるような曲での表現を見せることが多かったが、最後の年、彼のスティックの曲は、ジュニア時代にも使っていた「Tico Tico」だった。明るく駆け抜けるようなこの曲は、おそらく新体操を始めたばかりのころ、試合に出始めたばかりのころの「新体操って楽しい!」と感じていただろうころの彼を彷彿とさせる。

全日本選手権での演技ではミスが出てしまったのはもったいなかったが、それでも、大学生最後の年にこの曲での演技を見せてくれたことが、嬉しかった。

スティックだけでなく、今大会ではリング、クラブにもミスが出てしまった森園。ここ数年は、大会での演技のノーミス確率が上がり、その安定感を武器にしつつあったため、今大会での演技には納得はできていなかっただろうと思う。

しかし、最後の最後、ロープでは、マイケル・ジャクソンの「スムースクリミナル」で、ノーミス演技。それも、演技中盤からは会場中が大盛り上がりで手拍子が起きる中での演技だった。学生最後の全日本選手権での演技も成績も、満足のいくものではなかったかもしれない。

が、最後のロープで起こしたこの会場の空気は、天才少年だった森園が、どんな苦境にあっても投げ出さず、新体操を好きだった自分を取り戻しながら、ここまで粘り強く続けてきたからこそ得られたものだ。

 

「中庸」ではないスタートを切った選手たちには、彼らにしかわからない苦悩がきっとあったと思う。

それでも、最後までやりきることができたこと。それは、本当に尊いことであり、誇ってよいものだ。

この経験は、間違いなくこの先の人生に大きく生きてくる。

「最高の結果」にはならなかったかもしれないが、それでもやり続けられたことのほうがずっと価値があるのだから。

※写真は、2022年のもの(高野=新体操フェスタ岐阜/森園=全日本インカレ)