5年がかりの夢<上>~女子新体操岐阜国体チーム

5年がかりの夢<上>~女子新体操岐阜国体チーム

岐阜国体チームの母体は、済美高校新体操部であり、NPOぎふ新体操クラブだ。

つまり、この5年間、「済美高校」や「NPOぎふ新体操クラブ」として出場してきた試合もすべて、岐阜国体チームが挑んできた試合だと言ってよい。

今年のインターハイでは団体4位、クラブ団体選手権ではついに初優勝。

昨年のインターハイでも団体2位、山口国体では総合優勝をしている岐阜国体チームが、地元開催である今年の岐阜国体で優勝する可能性は、とてつもなく高い。100円の馬券を買って110円つくかどうかの大本命だと言える。

 

しかし。

このチームは、はじめから「勝って当たり前」だったかというと、決してそうではなかった。

今はもうみんな(私もだ)忘れてしまったかもしれないが、彼女達のスタートは、かなり厳しいものだったのだ。

 

2008年の全日本ジュニア。

試技順1番のNPOぎふ新体操クラブの団体メンバーには、今回の岐阜国体チームのメンバーである小出菜子美、高田夏穂、舛中美月の名前がある。

NPOぎふ新体操クラブは、この前年・2007年の全日本ジュニアでは、横山加奈、伊藤加奈、糸川みなみらを擁するいわば史上最強チームで団体優勝を遂げている。その強かった世代が抜けた2008年、彼女達の団体は14位に沈んでしまった。

2012年に岐阜国体が開催されることはすでに決まっており、そのときのメンバーになることがわかっていた世代だっただけに、この結果は、関係者の気を重くさせたのではないかと想像できる。

 

そして、翌2009年全日本ジュニア。NPOぎふの強いかき、手具操作の巧みさが有利に働らくことが予想されたリボン×5団体で、まさかの落下、落下、落下。またしても14位に終わってしまう。このときのメンバーは、「小出、高田、大西、舛中、二俣、服部」。今回の岐阜国体メンバーとほぼかぶっている。岐阜国体を3年後に控えてのこの成績は、かなりの危機的状況ではあった。

やっと上向いてきたのは、2010年。

この年からは、岐阜国体メンバーの一部が高校生になり、沖縄インターハイで7位になる。

しかも、この年の千葉国体では、素晴らしい演技での団体4位、個人との総合では2位になっている。そして、リボン×5団体2年目の全日本ジュニアでは、8位。なんとか、残り2年で浮上しそうな気配は見えてきた。

 

2011年。

青森インターハイでは、ついに団体2位という結果をおさめる。おまけに山口国体では、団体3位、個人との総合では優勝と、翌年に向けてこの上ない弾みをつける結果を得る。

この年の岐阜国体チームを見れば、「来年の岐阜での優勝はかたい」と誰もが思うだろう。

しかし、彼女たちは「はじめからそこにいた」わけではない、ということを忘れないでほしいのだ。

text by Keiko Shina