「殻を破る」~有村文里(宮崎産業経営大学4年)

2020年、高校3年生のインターハイがコロナ禍で中止になったとき、

2024年、最後の全日本インカレが台風直撃のため、急遽日程変更となり、前半2種目だけで終わってしまったとき、

今年の大学4年生はどんな思いをしてきたのだろう。

全日本選手権への出場が決まった選手たちは、まだそこに目標を切り替えることができたかもしれない(それでも、最後のインカレという場は特別であり、無念ではあったと思うが)だが、それが叶わなかった、ましてや「あと一歩」のところで叶わなかった選手たちの思いはいかほどか、と思うとずっと胸が痛んでいた。

そこに、10月12日の九州学生新人戦で4年生が後半2種目の演技をする、という情報が舞い込んできた。

会場は大分市。行けない日ではない。

しかし、大分は、私の住む熊本と隣接はしているがアクセスが悪い。

行くかどうか、悩んだが、やはり行くことにした。それだけ、今年の4年生たちの最後の演技は見届けたかったから。

 

私ごとになるが、新体操に本格的にはまった1998年からずっと東京に住んでいた私が、故郷である熊本にUターンしたのは2015年6月だった。ついこの前のようだが、もう9年も経ってしまった。

私が熊本に戻ってきたころ、今の大学4年生はまだジュニア選手だった。当時の熊本には現在、フェアリージャパンPOLAメンバーとして活躍中の稲木李菜子がいたが、その稲木と県内のトップ争いを演じていたのが、有村文里だ。2019年には、九州総体でチャンピオンにもなっている有村は、新体操に求められるすべての能力をバランスよく兼ね備えた選手だった。身体能力が高く、手具操作の感覚もいい、動きにスピード感もあり、ミスも少ない。とくにジャンプの高さやフォームの美しさには目を見張るものがあった。

しかし、当時、姉も在籍していた宮崎産業経営大学に進学し、大学でも新体操を続けていたが、全日本選手権出場には毎年、あと一歩届かない。そんな位置にいた。

非常に穴の少ない選手である有村だったが、若干表現力には課題があった。クールビューティーといった趣きのある有村の演技は、「表情豊か」とは言えなかったのだ。2021年からより芸術点の比重が上がったことも、有村にとっては逆風だった。それでも、2023年のインカレでは22位。(18位までが全日本選手権出場)この年はリボンで大きなミスがあり、それがなければあるいは、という悔しさもあっただろう。

今年の7月に、宮崎産業経営大学を訪ねたとき、本来個人の練習は休みとのことだったが、有村だけが練習に来ていた。作品を変えたようで、この日はなかなかまとめられずに苦労している様子が見られたが、それでも、その演技は、これまで見てきた有村文里の演技とは明確に違っていた。「ジュテーム」の切ないメロディーと歌声にのせて、年齢相応かそれ以上の大人びた女性らしさ、愛憎ともいうべき感情が見ている側に伝わってくる、そんな演技だったのだ。

感情が表に出すぎない。それが有村の長所でもあり、短所でもあった。ジュニア~高校生まではそれが高いレベルでの安定感につながっていたが、大学生以降、そして2021年のルール以降はいわば「枷」になっていた。

これは有村に限ったことでないが、「表現」で新境地を拓くのは、本当に難しい。表現力はあるけれど、ミスが多い選手は年数、経験を重ねていけば、完成度が上がっていくことは間違いないが、技術はあるが「表現」が苦手、という場合は、変われないまま終わることも少なくない。それでも、新体操はスポーツゆえに、やったことはやった分評価される。とくに2021年までのルールはその傾向が強かったが、今は、そうではない。「表現」が新体操に占める比重が高まってきた(2025年からのルールはよりそうなる)中で、技術先行型の選手はつらい立場になっていった。有村もその一人になりかけていたと思う。

しかし。

いや、だからこそ、最後の年に、そんな自分を打破する演技をしたかったのだろう。今年のリボンで彼女がやろうしていたのは、「かつて見たことのない有村文里の演技」だった。全日本インカレの後半種目がなくなってしまったとき、私は有村のことを考えていた。きっとリボンの練習には、他の種目以上に時間を割いていただろうに、なんてことだ! 完成していたならば、あの作品はきっと有村の殻を破る、集大成にふさわしい作品になったはずだった。それなのに。

今年の全日本インカレでの有村の順位は22位。(今年は20位までが全日本選手権出場)

またしても一歩届かず。リボンの演技をやっていたら、それがうまくいっていたらあるいは。。。そんな思いが残った。

この日、有村はまずクラブで、彼女らしいノーブルな演技を見せた。バレエ曲にのって涼しげに、でも時折見せる笑顔は、高校生のころよりもずっと艶やかで、視野外のキャッチは後ろに目がついている? くらい危なげなく正確な、良い意味で「いつもの有村文里」だった。細かいミスはあったが、もうそれはどうでもよい。そんな演技だった。

 

そして、最後の種目、リボンの演技では、夏に宮崎の体育館で見たあの演技を、わずかにリボンをつかんだ瞬間があったが他には大きな破綻なく演じ切った。しっかりとした技術の裏付けがあるからこその手具操作で、感情や曲を表現し、今までには見せたことのない豊かな、深みのある表情と動きで「ジュテーム」を踊り上げた。

この大会は、全日本インカレではなく、ここでどんな演技をしても、全日本選手権につながることはない。

それでも、有村文里は、最後に自分がやってみたかった演技を、ここでやりきったのだ。

コロナ禍を乗り越え、ルール改正を乗り越え、最後のインカレで不完全燃焼を余儀なくされても。

「クールビューティーの殻を破る」、その挑戦を、最後の最後に彼女は成し遂げた。

思うようにいかないことが続いても、目指していた結果に届かなくても、あきらめず続けてきたからこそ、成し遂げられることがある。この日のリボンの演技で、有村文里は、そう言っているようだった。

新体操って、きっとこんな瞬間のためにやっているんじゃないか。

そう思うと、これを見ることができたことに対する感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。

新体操を続けてくれてありがとう。

彼女が続けることを支えてくれた周囲の人たちにもありがとう。

そう思う演技だった。

※演技写真は、2022年西日本インカレのものです。(今大会のではなく申し訳ない)