古豪・水俣高校、10年ぶりのインターハイ団体出場なるか? 日本一熱いインターハイ予選に注目!<下>
水俣高校のインターハイ団体出場が途切れた2014年は、芦北高校もまだ台頭しておらず熊本県から男子団体のインターハイ出場はなかった。
「男子新体操」といえば「水俣高校」という時代があったにもかかわらず、熊本県の男子新体操はどん底に陥っていた。
しかし、この年は、JKA芦北ジュニア新体操クラブが全日本ジュニア初出場を果たした年でもあった。
どん底にあえぎながらも「熊本の男子新体操は死なず」を、芦北ジュニアの存在が示した。そして、その後、芦北ジュニアは全日本ジュニアの常連となり、2015年以降は常に8位以内に入賞し続け、2016年には3位、2022年には2位になっている。
「熊本の男子新体操の復活の立役者は芦北ジュニア」
それは誰もが認めるところだ。そして、その芦北ジュニアを育ててきたのは、かつての強かった水俣高校のOB達だった。
もともとあった芦北ジュニアという体操クラブに男子新体操を根付かせた下田洋介氏は、水俣高校⇒福岡大学で活躍。1999年には全日本選手権でも準優勝を果たしている名選手だ。下田氏にとっては水俣高校の後輩にあたる2002年水俣高校団体メンバーの江口和文氏や山田康光氏が芦北ジュニアで指導にあたってきた。その地道で粘り強い指導の賜物が現在の芦北ジュニアであり、彼らが進学することで強くなってきた芦北高校だ。
彼らが芦北という地で「熊本の男子新体操の復活」に向けて着々と活動する傍らで、水俣高校の新体操部は存続の危機にずっとあった。
このまま熊本県の男子新体操といえば「芦北高校」となっていくのかとおそらく誰もが思っていた。
ところが、2019年の全日本ジュニアに、芦北ジュニアと並んで水俣ジュニア新体操クラブが出場。いきなり3位という鮮烈なデビューを果たした。この年は芦北ジュニアが6位で、「熊本のジュニア強し!」という印象を全国に与えた。
芦北町と水俣市は車なら30分くらいの距離にある。芦北ジュニアがこれだけ強くなってきているのならば、男子新体操をやりたければ水俣からでも十分芦北には通える距離感なのだ。
それでも、一時は完全に死に体だった水俣にジュニアチームを立ち上げ、全国レベルのチームに育て上げる。人口2万2千、当然少子化も進んでいる水俣市でそれを実現するのは容易なことではない。
が、それを成し遂げたのも、森田英嗣氏をはじめとする水俣高校のOBたちだ。現在も水俣ジュニアでコーチを務め、水俣高校新体操部にも外部コーチとして関わっている森田氏も、2002年の水俣高校団体メンバー。江口氏の1年後輩にあたる。花園大学に進学して団体選手として活躍。その後、花園大学でコーチを務めた後、故郷である水俣に帰ってきた。
その時は、すでに芦北ジュニアが強くなっており、水俣の子どもたちにとっては男子新体操をやりたければ、芦北のクラブに通い、芦北高校に進学するという道もできつつあった。
が、それでも。
やっぱり「水俣高校の男子新体操を復活させたい!」そう願うOBたちは少なくなかった。
そのためには、まずジュニア強化。森田氏をはじめ多くのOBたちが指導に携わった。それぞれに仕事を抱えながら、休みを工面して水俣の子ども達を指導してきた。それでも、すでに水俣高校の新体操部は団体が組める状況にはなく、せっかく育てたジュニア選手も団体がやりたければ芦北高校に進学するしかない、そんな時期もあった。
2020年には男子新体操オンライン選手権ジュニアの部で2位。
その後は、2021年、2022年と連続して全日本ジュニア4位。
全日本ジュニアでは、芦北ジュニアは2021年5位、2022年2位。2019年以降(2020年は中止)、熊本のジュニアは、常に2チーム全日本ジュニア上位に入っているという状態が続いており、このジュニアたちが芦北高校に集結したら、芦北は手がつけられない強さになる! と思っていた男子新体操ファンは多いのではないかと思う。
が、そこは肥後もっこすだ。
全国でより上にいくために、どちらかの高校に選手を集めるという選択を彼らはしなかった。
芦北で頑張ってきた子たちは、芦北高校でインターハイを目指し、昨年、中3が5人いた水俣ジュニアの選手たちは、自分たちが進学すればついに団体が組める人数になる水俣高校に進学し、そこでインターハイを目指す決意をした。
結果、団体メンバー全員が全国トップレベルのジュニアチーム出身という超ハイレベルな2チームが、熊本県のインターハイ予選(熊本総体)で激突することになった。
なんとももったいない話だが、とても贅沢な話でもあり、また男子新体操が普及していない地域、下火になってしまっている地域にとっては希望にもなる話ではないかと思う。
男子新体操がメディアによく取り上げられるようになり、SNSなどでも盛んに発信されるようになったのは2008年あたりだと思うが、ちょうどその頃は熊本の男子新体操は低迷していた。水俣高校の栄光も過去のものになり、衰退する一方かと思われた時期があったのだ。
しかし、そこから芦北ジュニアが台頭し、芦北高校が復活し、水俣ジュニアの躍進、そしてついには水俣高校も10年ぶりに団体が組めるところまできた。
「日本一熾烈で日本一贅沢なインターハイ予選」は、かつての強かった水俣高校で、男子新体操に青春を懸けていた選手たちが、大人になり、いわば、地域への恩返しとして成し遂げた偉業の賜物なのだ。
5月28日。芦北高校の体育館で行われていた水俣高校の練習を取材に行ったとき、同じ時間同じ体育館に芦北ジュニアの子ども達と指導する下田氏がいたことにちょっと驚いた。水俣高校とインターハイ出場権を争うことになる芦北高校の選手たちのほとんどはジュニア時代には下田氏が指導していた選手達だ。
それでも、水俣高校のコーチである森田氏や顧問の松尾氏は、下田氏にアドバイスを求め、下田氏もそれに応える。
そんな風景がそこにはあった。ライバルなのは間違いない、が、「敵」ではないのだ、と感じた。
「芦北と水俣、競っていて仲が悪いってことはないんですか?」と下田氏に聞いてみると、「仲は悪くないです。合同練習や合宿をすることもあるし、お互いの演技にアドバイスをもらうこともある。水俣高校の復活は私たちOBにとっては嬉しいことでもあるし。それに、私たちの関係が悪くなるようだったら、森先生に顔向けができません。」という答えが返ってきた。
芦北高校 VS 水俣高校
それはとてもエキサイティングな対決ではあるが、俯瞰して見ればどちらも熊本のチームだ。
どちらが勝っても、この対決が実現したこと自体、「熊本県の男子新体操」の復活の証なのだ。
彼らはそういう意味では「仲間」なんだ。「熊本の男子新体操復活」を担う大きなチームの。
6月4日、熊本県立体育館にて行われる熊本県総体。
この2校の対決は、水俣高校OBたちが彼らの人生を懸けて必死に「男子新体操」を繋いできたからこそ見られる奇跡だ。