古豪・水俣高校、10年ぶりのインターハイ団体出場なるか? 日本一熱いインターハイ予選に注目!<上>

古くからの男子新体操ファンなら「水俣高校」の名前を知らない人はいない。

インターハイでの団体成績だけを振り返ってみても1970年に初優勝。1980年と84年に3位。

1990年代に入るといわゆる「黄金時代」を迎え、94、95年が3位。96~99年に4連覇を達成し、2000年に一度王座から陥落するも、2001~2002年には再び連覇。1994~2003年までの10年間で優勝6回、3位が2回というとてつもない記録を打ち立てているのが水俣高校の新体操部なのだ。

当時の監督は、1980年に3位になったときから森勝弘氏。1999年に4連覇を達成したときまではこの森氏が水俣高校の監督だった。この「森先生」という名前もいわば伝説の指導者として今でも名前があがることが多い名伯楽だ。

2001年の優勝時の監督は清本大介氏(現在、芦北高校監督)、2002年は牛迫大樹氏(芦北高校新体操部復活時の監督)。

しかし、この男子新体操の名門・水俣高校も2002年以来優勝からは遠ざかっている。

いや、優勝できないだけでなく、低迷し消滅の危機にも瀕していた。

2003年のインターハイでは5位に終わり、3連覇を逃してからは2004~2007年と4年間、2桁順位が続く。

2008年は9位、2009年は10位、2010年は8位とやや復活の兆しは見えたものの、かつての栄光を思えば「低迷」と言われても仕方がない、そんな時期が続いた。そして、2011年はついに部員不足のため団体が組めず、インターハイ出場を逃してしまう。

2012年、2013年は高校から始めた選手たちを含めてではあるが、なんとか団体を組みインターハイ出場は果たすが好成績が望めるチーム状態ではなかった。

※2013年水俣高校の記事 ⇒ http://gymlove.net/rgl/topics/club/2013/07/28/post-36/

そして、この2013年を最後に水俣高校の団体をインターハイで見ることはなかった。

あれほど強かった水俣高校がわずか10年でなぜここまで凋落したのか。

原因のひとつは当時、男子新体操の練習中の事故がいくつかあり、保護者の中に「危険だから」と男子新体操を敬遠する風潮ができてきてしまったことがある。新体操が盛んだったころは、中学にも部活があり、当時としては早くから新体操を始める子も多かった水俣地区だが、それがなくなってきた。

そこに追い打ちをかけたのが、少子化による学校の統廃合だ。2007年には、水俣高校と水俣工業高校の統合が決まり、2011年には校舎が水俣工業の校地に移転することが決まった。2012年には従来、普通科のみだった水俣高校が商業科や機械科なども備えた新設高校として生まれ変わったのだ。

「男子新体操の名門校」であると同時に、水俣地区では一番の進学校でもあった水俣高校は、大きく変革していった。男子新体操の練習場があった校舎からは離れた旧水俣工業の校地に2013年からは完全移転し、新体操部員たちは放課後になると練習場まで移動しなければならなくなった。

そして2014年には、水俣高校が最後にインターハイ優勝を果たしたときの監督だった牛迫氏が、芦北高校に赴任し男子新体操部を立ち上げた。このことにより、数少なくなっていた水俣で新体操を始めた中学生も、「高校でも新体操を」と考えると芦北高校に進学するという流れが出来上がってきてしまった。芦北高校の男子新体操の台頭は、熊本県にとっては福音だったが、水俣高校にとっては部員不足に拍車をかけることになってしまった。

インターハイでの優勝監督だった牛迫氏、清本氏も相次いで異動となり、2020年には水俣高校には競技経験、指導経験のある監督、顧問はいなくなった。その後を引き継いだのが現在の顧問である松尾昌治氏だ。

松尾氏は、新体操の経験はないと聞いていたが、練習中には見事な倒立をされたりする。聞けばレスリングの指導者であり競技経験もあるのだという。アスリートではあるが男子新体操の経験はない松尾氏がなぜ顧問になったのか。そして、ついに団体でのインターハイ出場を目指せるところまでくることができたのか。

「清本先生が監督されていた頃から新体操部には関わっていたので、清本先生が異動されてから引き継ぐ形になりました。経験はないので大変ですが、今はジュニアの先生方にかなり頼ることができるので助かっています。団体が組めるようになったのもジュニアが育ってきたからですし。」

と、松尾氏は一番にジュニアの指導者への感謝の言葉を口にされた。

そうなのだ。

水俣高校の男子新体操が復活できたのは、ジュニアからの一貫した指導体制が出来上がったことによる。

10年ぶりに団体が組める人数になった今年、水俣高校の団体メンバーはじつに5人が1年生だが、彼らは、あの2020年の男子新体操オンライン選手権でジュニアの部2位になった水俣ジュニア新体操クラブの団体メンバーだった選手たちだ。あのときの中学1年生が今年は高校1年生になった。彼らはその後、2021年、2022年と全日本ジュニアにも出場、2年連続で4位となり、「高校では日本一に」という思いも手ごたえも感じているはずの選手たちなのだ。

2023年5月28日。

芦北高校が全日本男子新体操団体選手権で優勝したその日。

水俣高校の選手たちは、芦北高校の体育館で練習していた。

2020年の豪雨水害後に買い替えられた芦北高校のマットは最新式のもので試合会場で使用されるものとほぼ同じだ。

それに対して、水俣高校の練習場にあるマットは、かなり旧式のもので傷みもある。こうして試合前には芦北で練習させてもらうことも少なくないのだという。

6月4日には、熊本県高校総体が行われ、そこで新生・水俣高校チームは、芦北高校と激突する。1週間前に「日本一」になり、勢いがついているだろう芦北高校は簡単に勝てる相手ではないことは十分わかっている。

それでも、あきらめるわけにはいかない。彼らには「水俣高校の復活」が懸かっているのだから。

<続く>