「福島三羽ガラス 最後の決戦」~2021全日本インカレを前に

彼らとの出会いは、11年前にさかのぼる。

2010年。

この年、全日本ユースチャンピオンシップに男子新体操団体選手権が初めて併設された。

初代チャンピオンは青森山田高校。この年のユースチャンピオンシップ男子優勝は臼井優華(当時・済美高校)、女子優勝は、山口留奈(イオン)。山口は、つい先日まで5年間、フェアリージャパンのコーチを務めていたが、その彼女がまだ高校生だったころだ。

第1回の男子新体操団体選手権に出場していたのは11チーム。そこで最下位だったのが華舞翔新体操倶楽部(福島県)だ。

最下位と言っても決して下手だったわけではない。むしろ、当時の男子新体操の中では、このチームの選手たちの柔軟性や線の美しさ、表現力などには目を見張るものがあった。いかんせん、当時の華舞翔は、ほとんどの選手が小学生だった。高校生のチームがほとんどのこの大会では、最下位もやむなし。しかし、「末恐ろしい子たちだな」と、誰もが思ったはずだ。

この年の10月に行われた全日本ジュニアには、華舞翔は団体で初出場を果たし、9位になっている。このとき優勝していたのは井原ジュニア。前年に続いての連覇だった。

2011年。

3月11日に東日本大震災があった。華舞翔は福島県のクラブなので少なからず震災の影響はあったはずだが、5月の団体選手権には出場してきた。

このときもまだ小学生が多かったが、12チーム中10位。そして、この年の全日本ジュニアでは団体3位になっている。この年、井原ジュニアが3連覇を達成。

2012年。

この年の全日本ジュニアでは、やっと中学生になった吉田和真が個人総合9位、田中啓介が13位になる。

団体は7位。恵庭RGが初優勝した年だ。

2013年。

5月の団体選手権では12チーム中5位、全日本ジュニアでは団体6位。そして、個人総合では、田中が7位、吉田が9位、1学年上の清水琢巳が15位だった。

2014年。

中3になった田中、吉田はユースチャンピオンシップに出場。この年、青森山田高校に進学した清水との直接対決となり、田中17位、吉田19位、清水20位という「いい勝負」を繰り広げた。その勢いをかって全日本ジュニア個人総合では、吉田が優勝、田中が2位と「福島勢でのワンツーフィニッシュ」を決めた。

しかし、じつはこの年の全日本ジュニアでは、彼らは団体での優勝を本気で獲りにきていた。そして、優勝してもおかしくない演技をした。が、華舞翔の代名詞となっていた「後方ブリッジからの鹿倒立」でミスが出て4位に終わってしまう。個人での成績は素晴らしかったものの、一番欲していたものには手が届かなかった。そんな思いで彼らはジュニアを終えたのではないかと思う。

2015年。

吉田は、清水を追うように青森山田高校に進学。田中は、埼玉栄高校に進学し、ユースチャンピオンシップで再びぶつかることになる。

このときは、吉田10位、田中12位、清水16位。

そして、この年、清水、吉田を擁する青森山田はインターハイで団体優勝を成し遂げる。

2016年。

この年のユースチャンピオンシップは、3人にとって、苦い記憶になっているのではないだろうか。

予選順位は、清水8位、田中20位。そして吉田は31位で決勝には進めなかった。

清水は予選8位と健闘し、最終種目までは9位までに与えられるジャパン出場権をほぼ手中にしていたが、最後の最後。クラブで落下場外を犯し、10位に後退。あと一歩のところでジャパン出場を逃した。田中は、決勝でも切り替えることができず19位に終わった。

親元を離れての高校の3年間。コンスタントの心身のコンディションを維持することは誰にとっても難しい。

2年目の2人は、このとき何かが狂っていたように見えたし、高校最後の年に懸けた清水は、その思いが強すぎて自滅したように見えた。

2017年。

清水は高校を卒業し、青森大学に進学。個人選手となり、この年は東日本インカレ止まりだった。

しかし、全日本インカレ前に青森大学に取材に行ったとき、とても全日本インカレに出ない選手とは思えないくらいの熱い練習をしていたのが清水だった。高校時代には個人ではほとんど成績を残していない清水だけに、大学で個人を選んだからにはかなり強い思いを持っているのだろう、とそのときの練習ぶりを見て感じたことを覚えている。

一方で、高校ラストイヤーのユースチャンピオンシップで田中はついに優勝。吉田は2位となった。

そして、この年のインターハイでは吉田が優勝。田中は痛い落下があり3位で涙をのみ、ユースとインターハイという高校生の個人のビックタイトルを福島の二人で分け合う形となった。

2018年。

吉田は青森大学、田中は国士舘大学に進学し、吉田は東日本インカレ止まりだったが、田中は全日本インカレ8位と上々のデビュー。清水もこの年はインカレまで駒を進め、12位となっている。

2019年。

この年、清水はボストンに留学。全日本インカレでは、田中11位、吉田17位。2年ぶりに2人そろってのジャパン出場となった。

2020年。

全日本インカレで吉田が8位、田中が14位となり、ジャパン出場を決めると、帰国初戦となった男子クラブ選手権で清水も3位に入り、初めて3人そろってジャパンに出場。ジャパンでは、清水9位、田中18位、吉田21位だった。

そして迎えた2021年。

3人にとっての「大学ラストイヤー」となるこの年の東日本インカレでは、田中2位、清水3位、吉田6位という結果だった。

いよいよ明日から競技が始まる全日本インカレでは、果たしてどう決着するのか、興味がつきない3人だ。

 

思えば、今年の大学4年生は「ワンチャンの学年」だ。

なにしろ1つ上の学年(清水はもともとこの学年)に有力選手が多く、下の学年の選手たちは、個人総合での入賞さえも困難だった。

だから、ジュニアのときも、高校生のときも、彼らはラストイヤーの前年でも表彰台にはのれていない。

前年実績から見れば優勝には遠い、と思われそうなところから一気にまくりあげて、ジュニアでは吉田が、高校生のときはユースでは田中、インターハイでは吉田が勝っている。

今回のインカレも、東日本インカレでは優勝をさらった向山蒼斗(国士舘大学)の存在もあり、楽には勝たせてもらえそうにない。

岩渕緒久斗(青森大学)、遠藤那央斗(青森大学)ら下の学年からの突き上げもかなりきつそうだ。

それでも。

幼い頃からずっと見てきた福島の3人が、優勝争いをしそうだというだけでワクワクしてくる。

あの末恐ろしいと思った小学生たちが、ここまでになるとは! 身内でもないのに感無量だ。

全日本インカレに向けての思いをまず、田中啓介選手に聞いてみた。

「自分の新体操は、高校の頃から、ただきれいなだけと言われ続けてきました。大学生になってからは、先輩方を見ていて、自分の特徴のなさを改めて感じるようになって、それがコンプレックスでした。以前、安藤梨友さんに演技を見てもらったときにも、自信のなさが伝わってくると言われ、そうやって勝手に自滅するのも悔しいな、と思うようになりました。今は、自分にできること、自分がやってきたことを思い切り、精一杯やって、これが田中啓介だ! と言える演技をしたいと思っています。」

ライバルとなる吉田選手、清水選手のことを意識するか? と聞くと、

「高校進学のときに、ジュニアのときの先生から、お互いが成長して戦う姿が見たいと言われていたので、その思いには応えられたかなと思います。ジュニアを卒業してからもう何年も経ちますが、今でも帰れる場所があることにホッとします。試合ではライバルかもしれませんが、華舞翔に戻ればみんな仲間なので、地元にそんな環境を作ってもらったことに感謝です。」

ジュニア時代は1学年下だった選手たちと競うことになった清水選手は、

「留学で1年のブランクはできても、自分は絶対に最後まで新体操をやると決めていたので、留学中も体幹トレーニングの本を持って行って、2日に1回は自分で決めたトレーニングメニューをやっていました。

 自分は、高校3年のときのユースでいい演技ができていたら、高校までで新体操は辞めるつもりだったのですが、悔しい結果に終わってしまい、ここまで続けることになりました。でも、今にして思うと、高校生のころまでは自分のことしか考えられず、新体操の面白さもわかっていなかったと思います。今は、作品ひとつひとつに思いをこめて作ったものなので、演じるのがとても楽しいです。自分の持ち味である大きな体を生かして、“自分はこういう新体操がおもしろいと思うよ”という演技をしたいと思っています。

 もともと同級生に強い選手が多かったので、あの同期たちに顔向けができないような終わりにはしたくない。途中で投げ出さず最後までやりきるのが自分だ、という思いが自分の力になっています。」

「ジュニアでも高校でも優勝しているので、優勝したいという気持ちはあります。
が、今はそれよりも4歳で新体操を始めて17年間、自分がやってきたことを出し切りたいという思いのほうが強いです。」
 3人の中では、一番浮き沈みのある新体操人生を送ってきたように見える吉田和真はそう言った。
「高校生のころまでは、人とは違うことをやったり、目を引くようなことをやったりすることが自分の個性だと思っていたし、それで点数をもらえていたところもあったと思います。
 それが大学生になると通用しなくて、だんだん自信もなくなってきてしまいました。そうなると自分は、感情が表に出てしまいやすいので、自分では全力でやっているつもりでもそうは見えないと言われたり、うまくいっていないときは演技中の表情にもそれが出てしまっていました。新体操選手としての自分はどう進んでいけばよいのか、も迷ってしまいかなり苦しい時期が続きました。
 変わってきたのは、3年になったころから。それまでの勝ちたい、という気持ちから“自分の全力を出したい”に目指すものが変わってきて、4年になってからは、もう迷わずに今やっていることを出し切るしかない! と吹っ切れました。」
 たしかに、大学生になってからの彼は、ジュニア~高校時代には見られた強気が影をひそめていた。きっと苦しかったんだろうと思う。
「今でも優勝はしたいですが、優勝しなきゃ、と思うことで力を出し切れなくなるのは嫌なので、優勝はできないと思っています。でも、だからこそ自分の演技をしっかり4つやりきりたい。そうすれば結果がついてくることもあるかもしれませんし。」
 そう言ったときの彼の表情は明るかった。
そして、
「大学での4年間は苦しかったけど、やってきたことに後悔はないです。」
 と言いきった。
 
それぞれに、山あり谷ありの競技生活だったかもしれないが、それでも、彼らのこれまでの人生の大部分は新体操と共にあった。
小学生のときに起きた東日本大震災のときも、彼らはかなり早くから練習を再開していたと聞いている。大きな災害があり、日々が不安に満ちているときだからこそ、きっと彼らは仲間といつも通りに新体操の練習をすることで自分を保っていたのではないか。そんなときだからこそ、新体操や仲間が支えだったのだろう。
一緒にいても、離れていても、競い合い、支え合う、彼らはそんな関係であり、そうして育ってきたのだ。
11年前、まだ男子新体操を真剣に見始めたばかりのころの私の度肝を抜いてくれたあのちびっこ達の最終形態を、明日からの全日本インカレでしっかり見届けたいと思う。
 
TEXT:Keiko SHIINA   PHOTO:Ayako SHIMIZU(田中)/Keiko SHIINA(清水、吉田)