「革命」に見る革命~2018国士舘大学男子新体操部演技会

毎年大盛況の国士舘大学男子新体操部新潟演技会は、今年は2回公演となったが1500人のキャパが2回ともほぼ満席となる賑わいだった。

遠藤由華さんの美しく、そして貴重な演技披露もあり、鹿児島実業のサービス精神満載の演技も見られ、

弓田速未さんの演技に心うたれ、鈴木駿平さんの家族愛に心温まる会だった。

もちろん、この会の本体である国士舘大学の演技も素晴らしかった。まさに見所しかない演技会、だったが

中でも「これは出色の出来!」と、見終わったときに魂をつかまれたような気がした作品があった。

演技会のラストを飾った集団演技「革命」である。

 

国士舘の集団演技は、いつも高い水準にあり、見ればいつだって感動はできる。

過去の作品にも、心が震えるほどの感動をもらったものも少なからずあった。

 

が、今回の作品はそれらの名作をも凌駕するほどの名作ではなかったか。

 

テーマは「革命」。

 

演技は冒頭から、全員での素晴らしいシンクロ演技で観客を圧倒した。

シンプルな衣装にちりばめられたわずかな布の色の違いこそはあるが、彼らはみな同じ、いわば「ひとつの民族」のように見えた。

が、中に、ひとりだけ他者は持っていない物を手にしていた者がいた。

おそらくその物が彼に特別な力を与えており、彼はこの人々の頂点に君臨しているのだった。

この「君臨する者」を演じていたのが、国士舘大学の団体選手・山口聖士郎選手だった。

小柄な選手ながら、その身体能力と表現力で、団体の中でもキーパーソンとなる山口選手のこの集団演技内での存在感、威圧感にはすさまじいものがあった。

圧巻だったのが、フロア後方から組みを飛び越えてきたジャンプだ。もはやジャンプというよりは「飛行」に近い高さと距離を彼は飛び、そして組みの手前の選手たちがそれを受け止めた。

これはめったに見られる技ではない。

そして、この技をもってして、この作品の中での彼が「絶対君主」であることが、あますところなく表現されていた。

 

演技冒頭では、すがすがしいまでに「ひとつ」に見えたこの集団は、この「絶対君主」によって支配されていたのだ。

彼らの体についたわずかな色の布は、おそらく本来の彼らは一体ではなく、民族なのか思想なのか、なんらかの違いをもっていることを示しているのではないか。

しかし、今はその違いを出すことが許されず、それぞれに葛藤はありながらも、彼らは「ひとつ」に見えるように動いているのだった。

そこに、ひとりの勇者が現れる。

「革命者」だ。

それも、どこかから颯爽と現れたヒーローではなく、それまでは大衆の中に埋もれ、みんなと同じうように君主に追従していた者の中から、「何か」をつかみ、立ち上がるものが出てきた。

この「革命者」を演じていたのが、個人選手の川東拓斗選手だ。

途中まではみんなと同じに動いていた彼が、序盤で赤い布を手に入れる。その布とともに彼は立ち上がり、絶対君主に戦いを挑んでいくのだが、それはまさに「民衆の中から立ち上がったヒーロー」のようで、彼の持つ個性にあまりにもよく合っていた。

革命者が現れたことで、それまでは自分を押し殺してきた大衆が、大きく2つの集団に分かれ、果てしない戦いが繰り広げられる。

その「互角の戦い」が、新体操の演技をうまく使って表現されていた。

フロアの中心部分で、同じ手具を使って6人の選手が同じ動きで踊る。

体につけた布の色はちょうど3人対3人になっている。

2つに分かれた彼らは、今や拮抗した戦いを繰り広げるようになってきていた。

そして、絶対君主と革命者は、お互いに剣を手にして、直接対決のときを迎える。

山口と川東が、剣に見立てたスティックで斬りつけあったそのとき、ストップモーションになり、ひとつの巨大な群像の像のようになった彼らの間を、マネージャーでバトントワラーの中野弥成さんがバトンの妙技を見せながら動いていく。

彼女とそのバトンだけが動いているこの時間。

それは、「戦いの間に流れていった時間、そして流れていった血」なのだ、と感じた。

中野の退場とともに、再び「革命」を懸けた戦いが動き出す。

一進一退を繰り返し、この戦いは永遠に終わらないのでは、と思われたとき、絶対君主は最後の手をうった。

彼に力を与えていた青い布を、再び取り出し、その力を誇示するかのように、民衆の真ん中に躍り出た。

彼は、自分の力を見せつけ、すべての人々を支配しようとしたのだ。

あるいはそれは、追い込まれた君主の最後の賭け、だったのかもしれない。

そして次の瞬間、おそらくこの時を待っていたのだろう。

渾身の力を込めて、革命者は君主に飛びかかり、とどめを刺す。

絶対君主は倒れ、革命者は拳をつきあげ、かちどきをあげた。

この瞬間、時代が変わったのだ。

 

 

国士舘大学の今年の集団演技は、これだけのドラマを見せてくれた。

ストーリーはあくまでも見た人間の妄想だ。

演者たちの思いはもしかしたら別のものだったのかもしれない。

それでも。

これほどのストーリーが浮かび上がる作品を彼らが見せてくれたことは間違いない。

 

単に、新体操の技や動き、表現を、なんとなくテーマらしきものにそって、音楽にのせて見せる。

男子でも女子でも、集団演技はそうなりがちだ。

仮にそうなったとしても、「新体操の集団演技」としては十分見ごたえあるものにはなるのだから、それがいけないとは思わない。

ただ、志をもって、創意工夫し、想像力を働かせれば、これだけのドラマを新体操で演じることができるのだ、と今回の国士舘の作品は示してくれた。

単なる、「ここは手具操作の見せ場」「ここで団体の動きを見せる」「ここに組み技を入れよう」という作り方ではなく、描き出すドラマ、ストーリーがあり、それを新体操で紡いでいく、これは素晴らしい試みであり、大きな成功を収めた。

特筆すべきは、この作品はほとんど学生たちが考えたものである、ということだ。

プロの振り付け師や演出家などの力も借りず、本番でも照明などの力も借りず。

それでこれだけのモノを見せてくれた。

これは、まさに「革命」だった。

 

なにかの機会があれば、ぜひより多くの人に見てもらいたい。

心からそう思った国士舘大学男子新体操部の「革命」だった。

 

TEXT:Keiko SHIINA      PHOTO:Ayako SHIMIZU