穴久保璃子(イオン)が「手に入れたもの」その②

穴久保璃子(イオン)が「手に入れたもの」その②
~第21回全日本新体操クラブ選手権

 

2007年、高校2年生になった穴久保璃子は、5月のユースチャンピオンシップで3位になる。前年度に比べると順位は上がったが、優勝は遠藤由華、2位に同級生の中津裕美が入り、やはり「悔しい3位」だったのではないかと思う。初出場のインターハイでも健闘し2位となるが、優勝したのはこの年で3連覇達成となった庄司七瀬だった。
シニアデビューとなったクラブ選手権では、横地、井上実美に次ぐ個人総合3位となり、チーム対抗戦連覇にも貢献。そして、この年の11月、全日本選手権において尊敬する先輩であった横地愛が引退を迎えた。横地は引退試合となる全日本選手権で、最終種目での劇的逆転という初優勝を遂げたのだが、この大会での穴久保は、10位。それでもロープでミスがあったため、総合順位こそ10位だが、ほかの3種目では、13点後半から14点というそれまでにはない高得点をマーク(当時は、15点台が出れば国内ではトップレベルという採点方式)。シニア選手としてのポジションをぐっと上げた1年となった。
横地愛の引退後は、一気に、イオンの中心選手という重責を担うことになることがわかっていただけに、彼女なりに必死だったのだろう。この年の全日本の穴久保の演技からはそれまでにはなかった気迫が見えるようになっていた。

2008年、高校生最後の年。穴久保は、ユースチャンピオンシップで初優勝を飾る。続くインターハイでも優勝。高校進学時に通信制高校を選び、新体操に懸けてきた高校生活が、やっと報われつつあるようにも見えたが、クラブ選手権では、シニア3位。ただし、この年の優勝は日高舞、2位が大貫友梨亜というハイレベルな戦いの中での3位であり、十分健闘したとは言える。ただ、横地の抜けた穴は大きく、クラブ選手権17回目にして初めて、イオンはチーム対抗戦の優勝を逃してしまう。優勝したのは日高舞を擁する安達新体操クラブだった。
個人総合では健闘したものの、チームの連覇を途切れさせてしまった責任を、イオンの若きチームリーダーとなった穴久保は感じずにはいられない。ユース、インターハイと優勝が続いた2008年だったが、このクラブ選手権の苦い記憶のほうが残ってしまったのではないか。
それでも、この年の全日本選手権では、4種目とも14点台をそろえ、6位に躍進。これは、翌年に迫った日本開催の世界選手権の代表決定戦に希望をつなぐ成績だった。

そして、2009年。
穴久保璃子は、高校を卒業し大学生になった。
このシーズン最初の試合は、世界選手権代表決定戦。

この年から採点方式が変わったため、この大会で優勝した日高舞を例にとると、よい種目では25点台、悪かったリボンで22点台という点数の出方だった。穴久保は、4種目とも21点台にはのせ、もっともよかったフープでは22点後半をマークして6位に入り、かなりの健闘を見せた。が、世界選手権代表は4人。惜しくも届かなかったのだが、この年の代表選考には推薦枠があり、4番目の選手は推薦で選ばれることになっていた。1~3位の日高、大貫、井上まではすんなり代表に決定したが、4番目の選手に選ばれたのは、穴久保璃子だった。

選手ならだれもが夢見る「世界選手権出場」! それが現実のものになるのだから、嬉しかったには違いない。しかし、推薦枠という微妙な選出のされ方には、複雑な思いもあっただろうし、そうして選ばれた以上は! というプレッシャーも大きかったろうことは想像に難くない。
「イオンの中心選手」という重責を担うようになって2年目、今度は「世界選手権代表」という責任まで抱えてしまった。人も羨む…には違いない。違いないのだが、その立場になったものにしかわからない重圧感が、当時まだ18歳だった穴久保璃子にはのしかかっていたのではないかと思う。

ちなみにこの年、穴久保のインカレデビューの成績は8位。世界選手権代表決定戦で4位の庄司七瀬、5位の浅沼圭にも負けている。9月の世界選手権に焦点を合わせての調整中ではあったかもしれないが、このインカレの結果でますますプレッシャーはきつくなった。「庄司、浅沼ではなく穴久保」を世界選手権に出した意味があったと言わせるだけの演技を、9月の三重・世界選手権で穴久保はしなければならない! そういう立場に追い込まれていったのだ。

2009年9月10日。
三重サンアリーナで、穴久保璃子は、世界選手権の舞台に立った。種目はボール。
白いレオタードで、フロアに立つ穴久保のすっとした姿勢の美しさは外国人選手にも負けていなかった。大きさと優雅さと気品のある演技に、海外の審判も観客も息をのんだ。肝心な試合で、残念なミスを犯しがちだった穴久保璃子が、この世界選手権のボールの演技では、落ち着きはらってミスなく演技をまとめた。あのときの会場はたしかに彼女に支配されていた。
まさに、「穴久保璃子を出した意味」を感じさせる演技。そして、得点も24.575が出た。
この大会に日本代表で出場した日高のボールは24.900、大貫が24.025だったことを思えば、穴久保は、このボール1種目で日本代表にふさわしい演技をしたということができるだろう。

このときの世界選手権代表の中ではもっとも若い18歳。
ロンドン五輪に向けて、日本の新体操は穴久保璃子が引っ張っていく展開になる。2009年の世界選手権の時点では多くの人がそう思っていた。

しかし。道はそう平坦ではなかったのだ。
(text by Keiko Shiina)

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