千葉県立袖ヶ浦高校 「持たざる者の強み」<上>
今年の6月1日、東京体育館で行われた「第5回男子新体操団体選手権大会」に出場してきた袖ヶ浦高校を見たとき、「ちゃんと6人で団体が組めてる!」ということにまず驚いた。
そして、演技を見て、「案外うまいじゃないか」と、また驚いた。
演技そのものには、ミスも多かった。
高校から新体操を始めたという選手がほとんどというチームらしく、まだまだ弱点は多い演技ではあった。
結果、得点は、14.150。参加20チーム中19位。
この結果には、選手も指導者も、応援している人たちも少なからず落胆したかもしれない。
しかし、なにしろ袖ヶ浦高校にとっては、2010年以来の団体だったのだ。
一時期は、部員2人まで落ち込んだこともある部だ。
それを思えば、ちゃんと6人以上の部員がいて、仮にも試合に出てきて、さらに、ミスはあったにせよ、「なかなかかっこいいじゃない」と思わせる演技ができただけでも、すごい! と言っていいと思った。
ところが、だ。
団体選手権からわずか1週間後に行われた高体連関東大会で、袖ヶ浦高校は、16.650をマークして4位になり、2010年以来のインターハイ出場を決める。
たった1週間で、じつに2.5点の得点アップ! これはただごとではない。
その1週間に何があったのか?
今回、袖ヶ浦高校の取材に行ったとき、そこをいちばん聞きたかった。
「団体選手権のときは、第1タンブリングでDをとりにいって、ミス。そのままミスだらけの演技になってしまいました。」
と、今年から袖ヶ浦高校の監督に就任した畠山大樹は、振り返る。
「うちは、まだ初心者が多いし、スプリングマットでの練習がほとんどできない。それで試合でDを狙うとなると、いちかばちかなんです。
結果、団体選手権では失敗してしまったので、インターハイ出場のかかる関東大会では、ミスなくやろう! と考え方を変えました。
そう決意できたのは、団体選手権での君津新体操クラブの演技を見たからです。君津は、高校生から小学生までの混成チームで、決して難度は高くない演技構成でしたが、ミスなくしっかりまとめて、16点に近い点数を出していました。それを見て、うちも難度はおとしても、ミスなく実施できれば16点にのせられるんじゃないかと思ったんです。」
しかし、構成の難度をおとすとなると、選手のモチベーションが下がってしまうことも多いと思うが、そこは大丈夫だったのだろうか。
「それは、少しは抵抗あったかもしれませんが、うちの選手たちは、とにかく練習をまじめにやる子たちなので、ミスなくやろう! と目標を決めてからは、それに向かって、本当に頑張ってくれました。」
団体選手権、そして関東大会というチームにとって大切な時期に、袖ヶ浦OBであり、現在、国士舘大学4年の斉藤剛大がちょうど袖ヶ浦高校に教育実習で来ていた。それも、おおいに影響があったという。
「現全日本チャンピオンである剛大の言葉は、やはり選手たちに響いていたと思います。彼の言うことを全部吸収しよう、という意欲がみんなすごかった。そうしてみんなが必死に頑張っていたから、関東大会の直前には、剛大が選手たちに“みんな、ここまで頑張ってきたんだから、試合は楽しもう”と言ってくれたんです。剛大は、ものすごく練習する選手だから、みんなの練習が適当だったら、「楽しもう」とは言わないと思います。その剛大が「楽しもう」と言ってくれたことで、関東大会は前日の練習から公式練習も、本番も、驚くほど雰囲気がよく、出来もよかったんです。団体はとくに、200%の力が出せたと思います。」
と、畠山監督は、OBである斉藤の力が大きかったと言いつつ、その斉藤の指導を生かした選手たちの頑張りをねぎらった。
しかし。
本当は、今年からこの畠山大樹という24歳の若い監督が、袖ヶ浦高校を率いていること。
それが一番大きいのだと思う。
2010年以来遠ざかっていた、団体でのインターハイの舞台に、袖ヶ浦高校を連れて行ったのは紛れもなく彼だ。
2010年3月の高校選抜大会で、当時、袖ヶ浦高校2年生だった斉藤剛大が優勝。3年生となった同年のインターハイでは、4位となった。
この年までは、団体でもインターハイに出場している。
斉藤が卒業すると、部員が3人になり、団体は組めなくなってしまった。
しかし、2011年のユースチャンピオンシップでは、畠山可夢(当時3年)が個人総合3位、インターハイでは4位となっている。
翌2012年、それまで新体操部の顧問だった小川監督が他校に転任。
部員も、新入生の2人だけ(現3年生の水野、松垣)になってしまった。
そのとき、講師として袖ヶ浦高校で働きながらコーチを務めたのが、現監督となった畠山大樹だった。
ちょうど大学を卒業する年に、母校である袖ヶ浦高校の新体操部の顧問がいなくなってしまうというピンチを、畠山は見過ごせなかった。
体育大学には進学しておらず、大学では新体操もやっていなかった。そんな自分でいいのか? という不安も大きかったというが、それよりも、「袖高の新体操部がなくなるのは嫌だ」という思いが勝った。
部員は2人だけ。水野はジュニアから新体操の経験があったが、松垣は高校から始めた初心者。それでも、「テレビドラマの『タンブリング』を見て衝撃を受けて」と新体操に意欲的に取り組んでいた。2人ではもちろん団体は組めない、目標も持ちにくい。それでも、彼らは「非常にまじめ」だったと言う。
翌年、新入部員が4人入ったが、今度は講師としての畠山の勤務先が袖ヶ浦高校ではなくなってしまう。
せっかく部員は6人そろったのに、指導者がいない。畠山も可能な限り見に来たいと思ってはいても、なかなかその時間はとれなかった。
指導が受けられるのは、畠山かOBたちがたまに来たときだけ。
そんな環境の中で、全員が高校始めの4人の新入部員は頑張るしかなかった。
やっと先輩になった2年生の2人も、初心者4人とともに頑張るしかなかった。
そして、水野と松垣が3年生になった今年の4月、ついに畠山が袖ヶ浦高校の教諭として採用された。
弱冠24歳ではあるが、今度こそ、本当に顧問であり、監督だ。
小川前監督から畠山監督へ移行するこの2年間にちょうどあたった現在の3年生にとっては、この2年間は長かっただろうと思う。
とくに、ジュニア時代から新体操をやっていた水野敦啓(3年)にとっては、焦りも感じる2年間ではなかったか。
「この2年間は、思っていたようにはいかないこともたくさんありました。」と水野は言う。
「でも、そんな中で、どう伸びていけるか、どう乗り越えていけるかだな、と思っていました。」とも。
「今年になって、やっと体操部として活動できている感じになって。でも、自分はもう最後の年なんですけど。
最後だから、後悔しないようにやりますよ!」 水野は笑顔で言った。
水野のことは、ジュニア時代にも見たことはあるが、見違えるようにたくましくなった、と今回、練習を見て、また話を聞いて思った。
順風満帆ではなかった2年間を過ごして、「今」がある。この2年間が、そしてこの夏の経験がまた水野を大きく成長させるに違いない。
今の袖ヶ浦高校は、やっとスタートラインについたところだ。
それでも、みんなが「スタートラインにつけた」ことで張り切っていることは伝わってくる。
だから、練習の雰囲気もとても明るい。
しかし。
やっと監督を得、今年も新入部員が入り、なんと部員が10名にもなったが、ここには足りないものがまだまだある。
<つづく>
※袖ヶ浦高校男子新体操部、出演中!
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2014年7月8日、15日、22日、29日
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PHOTO:Ayako SHIMIZU TEXT:Keiko SHIINA