第70回全日本体操選手権大会~女子優勝「村上茉愛(日本体育大学)」

2012年11月4日、当時は「全日本団体選手権」と同時に開催されていた「全日本種目別選手権」(2013年からは6月に単独開催)、村上茉愛はゆかで優勝している。当時まだ高校1年生だった村上だが、演技内容が、これまでの日本女子にはない高難度だったこともあり、非常に注目された。

試合後の囲み取材で、「目標とする選手は?」と聞かれたときに、村上は「白井健三」と答え、当時の報道陣は、「白井?」という反応だったことを覚えている。

そのころの白井は、2011年の種目別選手権ではゆかで2位になっていたものの、2012年は決勝で5位になっており、「すごくひねれる高校生がいる」程度にしか、一般のマスコミには認識されていなかった。が、幼いころから白井を見てきた村上は、そのときすでに白井健三の名前を目標として挙げ、「参考にしている」と言っていた。

それから1年もたたないうちに、白井健三は、世界のゆかチャンピオンになり、「白井って誰?」という人はだれもいなくなった。

 

一方、村上は、浮き沈みの多い選手だった。2013年6月の種目別選手権では、ゆかも4位。前年優勝しているだけに悔しい4位だったに違いない。

そんな村上が「もっとも沈んだ」のが、2015年の全日本選手権だった。今大会の試合後の会見でも、本人が「(去年の全日本選手権は)悔しいよりも、恥ずかしかった」というあの試合。

予選では、なんとか8位につけていたが、決勝で崩れた。とくに得意種目のはずだったゆかで、11.300と大崩れし、総合順位を21位までおとしてしまった。

 

この試合を振り返って、村上は、「あの全日本で自分は変われた」と言う。

体操の選手にはどこも痛いところがないことはめったにない。村上も、おそらく多かれ少なかれ痛みや故障はあるだろう。

それでも、どんな状態であっても。

「あのときと同じことはしたくない。」という強い思いが、村上を粘り強い選手にした。

素質や才能には恵まれていたのは間違いない。

しかし、そんな選手だけに、時間をかけるしか上達の道がない器具系の種目はあまり得意ではなかった。

並外れた脚力で、ゆかと跳馬は「日本人離れしている」と言われながら、段違い平行棒や平均台ではあっけなく落下してしまうことも少なくなかった。

その村上が、大学生になってからオールラウンダーとして戦える選手に成長した。

そこには、「勝つためには器具を強化するしかない」という思いがあった。

おそらく、それまでもいろいろな局面で「器具もがんばれ」と言われてはいただろう。が、自らそれを選択するのと強制されるのはまったく違う。

 

大学生になり、全日本での惨敗もあり、生まれ変わった村上は、

「それまでは器具は無難に、と思っていたが、時間をかけ、繰り返しやるようになった。つらいときも頑張ってやってきた。その成果が出てきたと思う。」

と胸を張った。

 

リオ五輪代表が決まるNHK杯まで1か月。

「痛いところが出ないように、調整したい。」と村上は言った。

「きっちりやれば勝てることはわかったので。」と自信ものぞかせた。

 

会見で村上は「きっちりやる」という言葉を何回も使った。

おそらくそれは、かつての彼女がもっとも苦手だったことだ。

それが今の村上は、できるようになった。

その自信と、自信を裏づけする努力が、彼女を全日本女王にした。

 

PHOTO:Naoto AKASAKA/Yuu MATSUDA      TEXT:Keiko SHIINA