第52回NHK杯 2位・加藤凌平/3位・野々村笙吾(順天堂大学)②
第52回NHK杯 2位・加藤凌平/3位・野々村笙吾(順天堂大学)②
「ふたり」 <後>
5種目目・平行棒。
1班の試技は、首位をひた走る内村から始まり、野々村が5番目、加藤が6番目という順番だった。
4種目目の跳馬では、2人そろってラインオーバーというミスがあった2人にとっては、
この長めのインターバルは、気持ちを切り替えるうえでは、ありがたかったのではないか。
野々村の直前に演技をしたのは、跳馬で大きなミスが出て、2位争いからは大きく後退した
かに見えた田中和仁だったが、得意の平行棒で15.600という会心の演技を見せる。
その田中の素晴らしい演技を見ていたのかどうかわからないが、平行棒の演技に入る前の
野々村は、緊張と気合いがいい具合に高まった表情を見せていた。
NHK杯1日目で、野々村は平行棒では全体の3位、鉄棒では2位という好成績をあげていた。
「後半2種目は疲労感がすごくて」と語っていた加藤よりも、どちらの種目も高い得点を出している。
残り2種目で逆転できる可能性は十分にある。
野々村は、その可能性に懸ける覚悟をしっかりと決めていたのだろう。
平行棒の演技には、なんら迷いは見られなかった。野々村の特徴である美しい倒立にもまったくブレがない。
本来、小柄な選手なのに、平行棒の上で倒立している姿は、とても大きく、脚も長く見える。
それは、彼のつま先がどこまでも美しく、甲がカーブを描いて伸びているからにほかならない。
田中和仁の平行棒もたしかに素晴らしいが、その足先の美しさに関しては、野々村はさらに上、と言ってもいい。
それでいて、中盤に平行棒の端を使って行われるダイナミックな技の連続は、スリリングかつ雄大だ。
美しさと、強さ。その両方を存分に見せて、着地も小さく両足で前にはねたものの決まり、
「どうだ!」と言わんばかりの演技だった。
この状況で、それをやり切れたところに、この選手の精神の強さを感じた。得点は、15.250。
前日の平行棒では、14.900に終わってる加藤に十分なプレッシャーを与えられる得点を、まずは出した。
一方の加藤は、1日目同様、このあたりから表情には疲れがかなり見えるようになっていた。
それでも、野々村の気迫十分の演技を目の当たりにして、「疲労が」などと言ってはいられない。
そんな決意も感じられる表情に変わったように思う。
加藤の平行棒も、ミスらしいミスはなくまとめ、14.850が出る。
おそらく、疲労はピークなのだろう。それでも、必死に踏ん張った加藤もすごい。
が、平行棒では、野々村が加藤の得点を、0.4上回り、得点は一気に0.525まで縮まった。
いよいよ最終種目の鉄棒。
1日目には、野々村は15.350、加藤は14.750という得点だった鉄棒。その得点差は、0.6だった。
たとえば、2人の演技が、前日と同じような出来であったならば、野々村の劇的逆転勝利もあり得る。
5月11~12日の全日本選手権、そして、このNHK杯と合計4日間にわたる戦いの最後の種目を前にして、
2人の間には、わずか「0.525」の差しかなかった。しかし、この小さな差が、「世界選手権代表」に選出されるかどうか
という大きな差を生んでしまうのだ。
昨年、五輪代表選考でも同じような悔しさを味わっている野々村にとっては、この「0.525」は、絶対になんとしても
ひっくり返したい点差だった。おそらく、それは、悔しい思いを抱えながら頑張ってきたこの1年間の自分自身のため。
そして、これから先の自分のため。
そして、1班の4番目。
野々村の鉄棒が始まった。
最初の見せ場は、アドラーひねりから伸身トカチェフの連続。これは、本番の演技では連続にしないことが
多いそうだが、この日、この土壇場で、野々村はリスクを冒して連続にしてきた。
テレビでは、「攻めてます」と、解説の斉藤良宏が高揚した声をあげた。
そして演技冒頭で見せたその「攻め」の姿勢は最後まで揺らぐことなく、どこまでも強きに勢いよく、
野々村の演技は進んでいった。フィニッシュは伸身の新月面宙返り。着地は、まるでマットに吸い込まれるように
ぴたりと決まり、微動だにしなかった。
演技を終えた瞬間、野々村は、満面の笑顔になり、ガッツポーズを見せた。
そうなるのが当然! の素晴らしい演技だった。得点は、15.350。
加藤は、落下などの大過失はもちろん、わずかなミスでも重なれば、野々村の逆転を許すことになる、
そんな展開になった。
フロアの横では、ひと足先に演技を終えて、安堵の表情をにじませている野々村も加藤の演技を見ている。
頼もしい後輩たちの熾烈な戦いを見守っている先輩達もいる。
もちろん、観客も、この2人の戦いにどんな決着がつくのか、固唾をのんで見つめていた。
加藤の鉄棒が始まった。
前日の鉄棒では、細かいミスがいくつか見られ、体力的に限界近いようにも見えた加藤だったが、
この日は違った。いつもの通り、粛々と冷静に、ひとつひとつの技をていねいにこなしていく。
大過失もなければ、小さな綻びもほとんど見られないクリーンな演技。
そして、フィニッシュは野々村と同じ伸身の新月面宙返りで、わずかに着地で一歩下がった。
着地だけ見ても、野々村のほうが上回ったのではないかという印象はあった。
しかし、加藤の演技も、前日のように15点を割るようなことはないだろうと思える出来だった。
加藤の得点が、14.825以下だと野々村の逆転勝利だが…。
果たして加藤の鉄棒には、15.100という得点が表示された。
その瞬間、加藤は心底ホッとしたという表情を見せた。
肩にはまだ痛みもあっただろう。練習不足だったとも聞いている。
そんな中で、この苛酷な戦いを最後まであきらめず、死力を尽くした加藤の「粘り」で
「世界選手権代表」の座を勝ち取ったのだ。
ロンドン五輪では、海外の審判などにも評判だったという「王子様」のような容貌の加藤凌平だが、
今回の戦いぶり、そして、会見での発言などから浮かび上がってくるのは、見かけに似合わぬ泥臭さだ。
決して本調子ではなくても、気持ちのいいノーミス演技ではなくても、なんとかしよう! としがみつく
根性が彼にはある。本人の口からも何度も「粘り強く」という言葉が出たが、まさにそれが
この選手の真骨頂なのだ。
NHK杯2日目に野々村が見せた怒涛の追い上げ(2日目の得点だけでは、野々村89.050、加藤88.200
と野々村が加藤を上回っている)ゆえに、「野々村、すごかった!」という印象も鮮烈だが、それでも
なんとか逃げ切れたのは、加藤の「粘り強さ」ゆえだろう。
1日目でかなり疲労があったところで、2日目は得意のゆかでいきなりミスを連発。まさかの14.350と
なった時点で、「やはり今回は無理か」と、気持ちが切れても無理もなかったのだ。
しかし、そこであきらめない。それが、加藤の強さだ。
そして。
加藤がその強さを身につけられたのは、野々村笙吾の存在が間違いなく大きい。
いつ負けてもおかしくない。
そんな存在が、すぐ近くにいる。
そのことが彼を強くした。
競技終了後の会見で、最後までチームメイトである野々村と激しく競い合ったことをどう思うか、という質問がとんだ。
そのとき、加藤はこう答えた。
「普段の練習もずっと見ているので、どれだけこの大会に懸けているのかもわかっているので…。
競い合うのが、笙吾でよかった、と。」
1年前、まったく無欲のまま五輪代表を勝ち取った、という印象だった加藤だが、
今回は違った。代表入りしたい!という気持ちは、あのころよりも格段に強くなっていた。
しかし、決してコンディション良好とは言えず、苦しい中での戦いだった。
そんな苦しい中で、加藤を奮起させたのは、2日目いつも自分の目の前で
「この大会に懸けて、攻めた演技をして、それをやり切っている」野々村の姿だった。
加藤は、いつも野々村の演技をちゃんと見ていたという。
そして、野々村がいい演技をすればするほど、「自分も思い切った演技をしよう」と
思えて、開き直れたのだそうだ。
最後の鉄棒でも、野々村の素晴らしい演技があったからこそ、加藤は、
「やるしかない! と思った」 と言う。
第52回NHK杯での彼らの激戦は、記憶に残るものだった。
しかし、おそらくこれは、2人にとってはまだ序章なのだろう。
この先も、ずっと。
こうして2人は競い合い、認め合い、成長していくのだから。
PHOTO by Norikazu OKAMOTO TEXT by Keiko SHIINA