寺本明日香、W杯初優勝!

寺本明日香、W杯初優勝!

~プレッシャーも跳ね返す責任感の強さが支えた勝利

 

  体操ワールドカップ2013東京大会における女子最初の演技者が、寺本明日香(レジックスポーツ)だった。

 女子の1種目目は、跳馬。本来なら寺本の得意種目といえる跳馬だが、昨年9月に手を骨折して手術をしたため、床に手をつくこともできない時期があったということを考えると、今の寺本にとっては不安の大きい種目、だ。

 

 しかし、3月のアメリカンカップ、イタリア国際と、本調子ではないながらも試合経験を重ね、必死に実戦の感覚を取り戻してきた、寺本は、この半年間の苦闘などなかったことのように鮮やかに「ユルチェンコ2回ひねり」を、ほぼ完璧に決め、14.725をマーク。骨折後の国内復帰戦のいいスタートをきった。

 大会後、坂本コーチは、やはり最初の跳馬がカギだったと語った。実戦復帰して1か月の寺本にとって「ユルチェンコ2回ひねり」は、かなりの賭けだった。しかし、自国開催のワールドカップの、それも最初の演技者として、「逃げる演技」はしたくない! そんな強い思いがあったのだという。その結果、今年の1月には、まだ段違い平行棒のバーを握ることもままならない状態だったなんて思えない、あの素晴らしい跳躍が生まれた。

 終わってみれば、この最初の跳馬の演技が、「寺本明日香、優勝」の予兆だった。

 跳馬では、ペイトン・アーネスト(アメリカ)が、15.125、エルザベス・ブラック(カナダ)が、14.950をたたき出し、寺本は3位発進となったが、3月のアメリカンカップでは7位、続くイタリア国際では、15位に沈んでいる寺本にとっては上々のスタートだった。

 

 これで、波にのった。

 

 2種目目の段違い平行棒は、復帰後、とても苦労してきた種目だ。今回も、ロンドン五輪のときの構成よりは低いD得点の演技内容に押さえたままだった。それでも、はなれ技も2つ入ったほぼ完璧な演技を見せ、フォアン・チューショアン(中国)の14.400、アーネスト(アメリカ)の14.175に次いで3番目に高い得点、14.050を得る。2種目とも3位で、総合では2位という好発進となった。

 

 坂本コーチは、「1日目終わったときに2位だったのにはびっくりした」と、大会後に語った。

それも無理はない。3月のアメリカンカップのときは、周囲の選手が強かったとはいえ、8人中7位。「これでは、ワールドカップは無理か」と思うような状態だったのだ。それが、ほんの1か月前のことなのだから。

 アメリカンカップよりは、やれそうだという手ごたえはつかんでいたとは言うが、不安はやはりあったはずだ。それが「2位でびっくり」という言葉に表れている。「おかげで2日目はちょっと嫌でした。せっかく2位にいるのに、落ちるのは嫌だな、と。」と、坂本コーチは笑ったが、落ちるどころか、寺本は2日目に驚くべき加速を見せる。

 2日目の平均台とゆかは、今年から採用された新ルールに対応した新しい演技をする選手が多いなか、寺本は、ロンドン五輪のときとほぼ同じ演技だった。より上を狙うならば、本来の彼女の能力をもってすれば、もっと得点を狙える余地はあっただろうが、後半2種目に関しては、「Eスコア(実施点)を大事にやろう」という作戦だった。いや、作戦というよりも、復帰したての寺本には、その選択しかなかった、のが現実だろう。

 

 しかし、その辛抱の演技が、逆転優勝につながった。

 

 平均台では、4番目に演技を行ったシャン・ツンソン(中国)が、シリーズにつぐシリーズをゆるぎなく決める素晴らしいパフォーマンスで、14.625というハイスコアをたたきだしたが、7番目に登場した寺本は、ひとつひとつの技をていねいに確実に決め、バランスを崩したところも最小限の揺れでこらえた。そして、なんと言っても終末技の3回ひねりは、床に吸い込まれるようにぴたっと止まった。14.250は、この時点で、ツンソンに次ぐ得点だ。

 そして、平均台最後の演技者が、1日目を終えて暫定首位のアーネストだった。鮮やかなピンク色のレオタードのアーネストは華麗で正確な演技を見せるが、着地でバランスを崩し、背中までうつほどの尻もちをつき、まさかの13.375。その瞬間、寺本が暫定1位に躍り出た。

 

 寺本の平均台は、まさに無我の境地、に見えた。寺本自身が記者会見で何度も口にした「自分の演技に集中する」を体現する演技だった。現在の順位も、他の選手の演技や得点も、なにも彼女の集中を邪魔することはできなかった。

 しかし、最終種目のゆかを前に、首位に立ってしまった。そして、この大会では、そういう試合の状況を、MCが盛んにアナウンスする。「寺本明日香、優勝なるか?」嫌でも、周囲のそんな期待の高まりを感じながら、寺本は、ゆかの最終演技者として登場することになる。

 ゆかでも、5番目の演技者・ツンソンが3回ひねりからの切り返しや4回ターンなど、見せ場満載のスピード感あふれる演技で、13.850の高得点をマーク。続く、ブラックも、強い脚力を生かし、大人っぽい表情を見せながら、タンゴを見事に踊りあげ、13.625とハイレベルな演技の応酬が続く。平均台では痛いミスを犯したアーネストも、ふわりと浮きあがるようなタンブリングと、華やかな美しさを存分に見せつける演技を、フラメンコ調の曲でまとめ、13.875。

 この時点で、アーネストが4種目合計56.550で2位以上を確定する。寺本が、逃げ切るために必要な得点は、13.525以上。十分出せる可能性はある点数ではあるが、1つでも大きなミスや場外などがあれば、遠のいてしまう。極限の緊張が襲ってもおかしくない。

 そんな中で、寺本は、「結果にはこだわらず、自分の演技をちゃんとやろう」とだけ考えていたという。そして、ひたすら、ひとつひとつの技をイメトレし、ここでも自分の演技のことだけ、を考え続けた。

 寺本のゆかは、今まで見た彼女の演技の中でも、とびぬけて「落ち着いた演技」だった。小柄なだけにスピード感が持ち味で、高速のひねり、ぴたぴたと決まる着地など、小気味のいい演技をする選手なのだが、その良さはそのままに、今回の演技には、怪我によるブランクも乗り越え、年齢も1つ重ねた17歳の寺本明日香の「成熟」が見えた。ワールドカップ優勝のかかった手に汗握るはずの演技なのに、なぜか失敗する気がしなかった。あまりにも寺本が落ち着いているので、観ているほうもどっしりと構えていられる、そんな演技だった。

 得点は、13.800。その瞬間、日本の女子にとっては初の、「ワールドカップ個人総合優勝」が決まった。

 

 記者会見で、身長を聞かれて、「最近、測ってないのでわかりません。(ロンドン五輪のときは140センチでしたよ、と記者から言われて)142はあればいいな、と思います。朝なら多分、あります。」と答えた寺本。その小さな選手が、日本女子初の快挙を成し遂げたのだ。

 

 坂本コーチは言う。「復帰したばかりのワールドカップで、優勝のチャンスがめぐってきて、プレッシャーはかかったと思うが、寺本は、プレッシャーに負けないだけの責任感がある。その責任感が、彼女のいいものを引き出している。」

 たしかに、ワールドカップ優勝という大仕事を成し遂げても、寺本は「うれしい」という言葉を口にしなかった。代わりに口をついたのは、復帰までを支えてくれた周囲の人々、そして、今大会で会場に駆け付け、たくさんの声援を送ってくれた観客への感謝の気持ちだった。

 「日本での試合だったので、たくさんの応援があって、安心してやれたので、ノーミスでできたと思う。みんなの応援に感謝しています。」

 「手術後、4か月はまともに練習できていなかったので、思った以上に体力が落ちていて、まったく技ができない状態から、ここまで戻してこれたのは、支えてくれたみんなのおかげだと感謝しています。」

 

 そして、「今回の大会でも、優勝するんだ!とかではなく、技に対しての具体的なアドバイスをコーチがずっとしてくれたので、自分の演技だけに集中できた結果、ノーミスで4種目やることができたと思います。」と、坂本コーチにのサポートに対しても感謝を表した。

 

 彼女は、自分がどれほど多くのものに支えられているかをしっかり感じとることができる選手なのだ。だから、それに応えようとして責任感も生まれる。

 17歳とまだ若い寺本だが、その責任感が、今は彼女の「強さ」につながっている。この先、ときにそれが「重圧」になる可能性はあると思うが、寺本にはもう1つ大きな武器がある。

 

 強い選手達と一緒に練習したり、同じ試合に出ることを、「勉強になるし、自分のやる気にもつながる。試合を経験するとそれが自信になる。」と、前向きにとらえることができるポジティブさだ。

 4か月のブランクがあり、バーがつかめない、手をつけない、という状態になってしまったとき、絶望するのが普通だ。寺本といえど、ショックだったには違いない。が、そのショックをバネにすることができるのが彼女の強さだ。

 今年の1月のナショナル合宿のときには、寺本はまだ段違い平行棒や跳馬はまともにできなかったそうだ。そのときの、恥ずかしさや悔しさが、起爆剤になり、2月には驚異的な回復を見せ、3月にはもうアメリカ、イタリアの試合に出ていた。その回復力のすごさは、身体的な面だけではない。復帰後の試合では決してよい結果は出ていないが、それで落ち込むのではなく、「次への課題が見つかった」と受け止められる精神のタフさが、この短期間での回復につながったのだ。

 ワールドカップ優勝。

 

 それは、記念すべき、讃えるべき勲章だ。

 

 

 しかし、寺本明日香は、きっともうそのことは忘れている。

 彼女の目は、いつも「次」を見ているのだ。

 

 photo by Tatsuya OTSUKA  text by Keiko SHIINA