「南からの挑戦者たち(鹿屋体育大学)」~第71回全日本種目別選手権

鹿児島空港から車で1時間半はかかるのではないか。

日本で唯一の国立の体育大学・鹿屋体育大学は、日本の中心である東京からは「遥か彼方」に位置する。

それでも、1984年の創立以来、体操競技部はずっと存在している。

当時としては日本でも最先端の設備を備えた体育館はあったが、初年度の部員は1人。

全日本インカレの1部に上がるまで10年かかった。

1984年からの20年は、日本の体操界の低迷期だった。

かつては五輪でも金メダルを量産していた日本の「お家芸」だったが、ロシア(当時はソ連)や中国の台頭で、金メダルはおろか表彰台すら逃す事態に陥っていた。

そんな時代に、鹿屋体育大学は、九州でもさらに南端に近い場所で地道に体操選手を育成し、地域にも体操を広げる活動を続けてきた。

インカレ1部校になってからも、上位校の壁は厚く、じつに7回も団体7位になっている。

 

その鹿屋体育大学が、競技成績で上位を脅かす存在になってきた。

契機となったのは、2010年の村田憲亮コーチの就任だった。

前部長の定年退職後の穴を埋めるべく、当時順天堂大の大学院に在籍していた村田に白羽の矢を立てたのは、現在、鹿屋体育大学体操競技部の部長を務める北川淳一教授だった。

アテネ五輪は0.1差で正選手になるチャンスを逃し、北京五輪では補欠だった村田は、その指導力が高く評価されており、「村田コーチに教えてもらいたい」と鹿屋への進学を志す高校生も徐々に増えてきた。

さらに、北川氏の後方支援により、村田コーチはスカウティングや大会帯同などで全国を飛び回ることができ、選手獲得にも成果があがってきた。

「自分が若いころは、なかなか思うようにできなかったことも多かったので、なるべく村田くんのやりたいようにさせたいという思いがあった。」

と北川氏は言う。

こうして、経験豊かな北川氏と若い村田コーチは、そのコンビネーションのよさで、徐々に部を活性化していった。

その結果、全日本インカレでも団体4位(2015年)、全日本団体選手権(2014年)でも4位と過去の歴史を塗り替える成績を上げるようになった。

全日本団体選手権では、2015年は7位、2016年では8位だが、すっかり決勝の常連になってきた。

社会人チームの強豪もひしめくなかでの3年連続の全日本団体決勝進出は、高く評価されてしかるべきだろう。

 

「鹿屋はキテる」

体操競技に高い関心をもって見ている人達の間では、数年前から言われてきたことが、ここにきていよいよ顕著になってきている。

 

そこにきて、今年。

3年生の前野風哉が、NHK杯11位でナショナル選手入りを決めた。これは、鹿屋体育大学にとっては、新しい歴史のページを開く快挙だった。

 

「鹿屋体育大学では、選手として競技成績を上げること以上に、社会に出て役に立つ人材を育てることに重きをおいてきた。」

と北川氏は言う。そのために、大学の施設を使って行う子ども向けのスポーツクラブでは、体操競技部員全員が指導にあたり、在学中から指導者としての経験を積む。

「もちろん、五輪選手を輩出したいとも思うし、インカレでの団体優勝は大きな目標。」としながらも、

「やることをきちんとやっていった結果として、そうなればいいな、と思っている。」と言う。

 

「いくら体操競技を頑張っていても、トップレベルになれるのはひとにぎり。

だったら、体操競技を通じて、社会に出てから生かせるものを学生たちには身につけてほしい。」

北川氏自身、順天堂大で体操競技を究め、1980年のモスクワ五輪の代表選手に選ばれていた。ところが、国際情勢の変化で日本はモスクワ五輪をボイコット。幻の五輪選手となった経歴の持ち主だ。

それだけに、体操競技で、結果だけを求めれば報われずに終わることも多いことを知っている。

だからこそ、競技生活を終えた、そのあとの人生を豊かに、そして社会に役立つ生き方ができる選手を育てることにこだわるのだ。

「鹿屋の体操競技部には、一般入試で入ってくる体操選手としての実績はあまりない選手もいる。

そういう選手たちは、ここの設備や指導に感激して、こんな環境でやれるなんて! とものすごく前向きに頑張る。

そんな選手たちの存在が、他の選手たちに与える影響は大きいと思うし、そこは自慢できるところ。」

と、北川氏は胸を張る。 とことん、「人を育てる場所」なのだ、ここは。

 

6月24~25日に行われる「全日本種目別選手権」に、鹿屋体育大学の選手たちが、4名出場する。

もっとも期待を集めているのは、前野風哉(3年)だが、選手それぞれにこの大会にかける思いを聞いてみた。

※前野選手の記事は、こちら ⇒ https://news.yahoo.co.jp/byline/shiinakeiko/20170621-00072354/

 

●中野大貴(4年)跳馬に出場

「一番得意な種目はつり輪だが、種目別には跳馬に出場することになった以上、跳馬が本命だったのか、と思わせる演技をしたい。

 中学時代には、一時期、体操が嫌になったこともあったが、結局、体操をやっている時間がいちばん自分らしくいられると気づいて、高校、大学は迷わず体操を続けてきた。体操を始めた4歳のときから、ずっと体操に関わってきたが、今年は集大成の年だと考えている。」

 

●杉野正尭(1年)あん馬に出場

「昔からあん馬が好きで、あこがれの選手は鹿島選手だった。

 あん馬は、まず怖くないのが一番で、やればやるだけうまくなることを感じられることが魅力だった。

 自分のあん馬は、落ちないあん馬。少々、危ないところがあっても粘って粘って落ちないのが強み。

 五輪や世界選手権を目指してやっていきたいと考えているし、世界選手権の種目別あん馬に出ることが目標。」

 

 今回は、取材日に欠席だったため、話を聞けなかったが長谷川瑞樹(2年)も跳馬で全日本種目別に出場する。

 

 また、全日本種目別には出場しないが、5月18~21日に行われたアジア体操競技選手権シニアの部にも出場し団体3位、個人総合9位、種目別跳馬3位となった堀内選手にも話を聞くことができた。

●堀内柊澄(2年)

 「3歳で体操を始め、小1から大会に出始めた。そのとき鉄棒で金メダルをとれたのがうれしくて、またとりたいな、と今まで続けてきた。

 大学での目標は、ナショナル入り。来年は本気で狙っていきたいと思う。そして、2年後のユニバーシアードには出場したい。

 もともと得意なのは鉄棒で、ひねり技の精度には自信をもっていて、そのおかげでEスコアが高いのが強みだと思う。鉄棒は離れ技のほうが目立つし、華やかだけど、体力を消耗する。離れ技に頼らず点数を上げていくにはと考えて、ひねりにこだわってきた。

 今は、あん馬とつり輪が少し弱いので、力技を増やせるようにしてオールラウンダーとして勝負できるようにしていきたい。

 まずは、全日本インカレで上位に入ってU-21に選ばれること、団体でもメダルを獲ることが目の前の目標。」

 

最後に、「チーム鹿屋」のまとめ役である森近キャプテンにも話を聞いた。

●森近直樹(4年)

「自分は東京出身で、高校は習志野高校。

 鹿屋に進学した理由は、環境の良さと村田先生に教えてもらいたかったこと、そして、見学に来たときの先輩たちの練習の雰囲気がとてもよかったこと。

 自分は鹿屋で、選手としても人間としても成長できたと思っている。ここで学ぶことができたから、体操を指導者目線で考えられるようになったし、村田先生からも多くのアドバイスをもらえた。また、九州4大学(福大・九州共立大・東海大九州)での合同練習なども盛んで、学べることが多かった。

 鹿屋の体操部の寮は、大学のすぐ近くにあって25人が一緒に生活しているが、そこでの生活も多くの人に支えられてきたと実感している。

 今年はキャプテンとしてチームをまとめていくことも考えながら、自分自身が全日本インカレに選手として出られるようにも頑張りたい。この3年間は、団体には出られたり、出られなかったりしているので。」

 卒業後は、千葉に戻って、なんらかの形で体操の指導にも関わっていきたいという森近。

 鹿屋体育大学の目指す「社会に出て役立つ人間」は、こうしてしっかり育ってきている。

 

そして、鹿屋体育大学の選手たちの競技の面での活躍も、今後ますます見逃せないものになっていきそうだ。

まずは、今週末の全日本種目別選手権での健闘を期待しよう。

 

※鹿屋体育大学公式サイト⇒ http://www.nifs-k.ac.jp/

 (3年時編入、帰国子女枠などもあるので、ぜひチェックしてみてほしい)

※鹿屋体育大学モチベーションビデオ2017⇒ https://www.youtube.com/watch?v=uuhNUyq_mEg

PHOTO & TEXT:Keiko SHIINA